じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

RPAは利器か凶器か

RPAが一部の界隈で流行っている、あるいは流行らせようとしている風潮がある。RPAとはなにかということについては、RPAテクノロジーズの説明ページが非常によくまとまっているのでこちらを参照して欲しい。
rpa-technologies.com

しかし、私はこのRPAを手放しに歓迎する風潮に違和感を感じる。それは、RPAの思想がネガティブから始まっていることにある。

業務システムがイケてないからRPAを入れる

これまで業務システムは業務を効率化するためのツールとして導入されてきた。一方で、政治的な背景や資金繰りの悪化、スキルの不足によって業務システムに安易に手を入れられないという事態も起こっている。さて、このようにイケてないシステムによって発生している人の手作業をRPAで自動化することは、本当に幸せをもたらすのだろうか。

本来であれば、業務システムがイケていないのであれば、業務システムに手を入れて全体最適を図るのが筋というものであろう。それを、イケていないことに目をつぶってRPAを介して自動化するということは正解とは言えないのではないか。

本書でも語られるように、「ITに手を入れないと、業務改革はできない」のである。

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(白川克, 会社のITはエンジニアに任せるな!図5 (2015))

ただし、以下のような補足もある。

「やっぱりITには手をつけずに、当面は凌ぐ」とか「小規模な手術で済ます」という選択肢を取らざるをえない場合もあります。
(白川克, 会社のITはエンジニアに任せるな! (2015))

この「当面は凌ぐ」という言葉が指している「あくまでも暫定対処であり恒久対処が必要である」という考え方が徹底された上で、イケていない業務システムに対してRPAをうわかぶせするのは暫定対処としての効果があるかもしれない。しかし、その思想が行き届かないままにRPAありきの業務が一度回り始めると、たちまちツギハギにツギハギを重ねたイビツな仕組みが出来上がる未来が予想される。これを業務改革である、働き方改革であると手放しに喜んでいいのか。RPAをは不幸な種をまき、悲劇を育てることなりはしないだろうか。

RPAは恒久対処ではない

RPAという言葉が生まれる以前から「得意な人」によって作られたツールは「得意な人」界隈で利用されてきた。いまさらRPAという仰々しい名前をつけて、やれロボットだ、やれ改革だと騒いでいる様子に驚いているかもしれない。そう「得意な人」はもうそれでいい。「得意な人」はこれまで通り便利なツールで自分や自分のみの周りの人だけを幸せにすることを考えれば良い。

ここで気にしているのは、「得意ではない人」にRPAという道具を与えて、これまで人がやってきた作業を業務システムと密に結合するような自動化の仕組みを入れ込んでも良いのかという部分である。

「得意な人」はイケていない仕組みを理解した上でツールを工夫してうわかぶせして使う。仮に仕組みが変わったことによってツールが使えなくなったとしても、自分の非公式ツールが考慮されないことは当然だというスタンスで考えるだろう。やれやれ、と言いながら不具合を直してまたそのツールを利用し始める。ところが「得意ではない人」にRPAという公式ツールを与えてしまうと、イケていない業務システムとの結合は密に密になっていく。

「RPAが動かなくなるからこの変更は許容できない」、「RPAが止まると業務が止まる」と言い出された日には、本来イケていない業務システムの暫定うわかぶせのはずだったのに、いつしかRPAは恒久対処にすりかわり、業務改革はおろか業務が膠着して変化を拒み、ビジネスのスピードも鈍化するという事態になりかねない。

イケていない業務システムを直す時間もお金もスキルもないので、とりあえず暫定対処でしのぎたいという人々のためのRPAであり、対応期限つきの恒久対処とセットで利用することを原理原則とするのが良さそうだ。

UiPathに関する記事はこちら

blog.jippahitokarage.com