じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

第一子の出産に立ち会ったときのことを記録しておく(後編)

前編から読む方はこちらへ。blog.jippahitokarage.com

一度休んで、午後からお産にリトライする提案を受けた

 朝10時ごろ、すっかり抜け殻のようになった我々に、助産師さんから提案があった。
 今のうちに陣痛と陣痛の少しの間でうとうとするくらいでも良いので少しでも多く寝て、午後からお産ができるように体力を回復させておこうということだった。 すでに子宮口は完全に開いていて、後は赤ちゃん待ちという状態だった。 助産師さんからは、旦那さんも、一度家に帰って、2時間でも3時間でも寝て回復してからまた戻ってくるように、という指示だった。苦しんでいる妻には申し訳ないが、妻はもちろんのこと私も寝ていなかったので一度家に帰って休ませてもらうことにした。

 自宅で少し休んでから、午後2時ごろに妻の待つ陣痛室に戻ると、妻は私の顔を見るや否や顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。

「隣の人が先に分娩室に入っていくし、誰も来てくれない…。」

我々がいた陣痛室にはベッドが二つあり、昨晩はもう一方のベッドは空いていた。今朝になってお産を待つ妊婦さんが隣に入ったらしく、カーテン越しに新しく来た妊婦さんの陣痛の様子も伝わってくる。どうやら私が家に帰って休んでいる間に、隣にやって来た妊婦さんのお産の準備が整った様子で、すぐに分娩室に移動していったらしい。我々よりも早くお産の準備が整った妊婦さんのプライオリティが急に高まった結果、妻のところに助産師さんが全然来てくれなくなったのだという。

 昨日から24時間以上も陣痛に耐え、一睡もできない状態でお産を待ち続けていたのに、後から入ってきた妊婦さんが、先を行ってしまった。どうして私だけこんな目にあわなければならないのか、そう思ったのだろう。ただでさえ、もうボロボロの心と体の妻にとって、とどめを刺すような仕打ちだった。聞こえるか聞こえないかというほどの弱々しい声で、生気のない表情の妻はつぶやいた。

「もうだめ…もう…やめたい…」

助産師さんは、午後からもう一度お産にチャレンジし、それでも駄目な場合は帝王切開に切り替えるという提案をしてくれていた。 しかし、妻の体力はとうの昔に限界をむかえており、 助産師さん言うところの午後からのお産を再開する気力も体力も残されてはいなかった。言葉にこそ出さなかったが、妻は帝王切開を望んでいたし、私もそう思っていた。

「いいよ。もう、十分、頑張ったもんね。」

助産師さんに、今すぐ帝王切開に切り替えて準備をして欲しいと一刻も早く伝えたかったのだが、我々よりも先に分娩室に入っていた妊婦さんのお産の優先度が高まったことにより、 助産師さんがなかなかつかまらなかった。助産師さんがお産で手が離せないなら、先生とお話ししたいと看護師さんに伝えても、先生は外来だといって取り合ってもらえなかった。

しばらくすると、分娩室から元気な赤ちゃんの産声が聞こえてきた。先に入っていった人の出産が無事に終わったらしい。当時は私も冷静ではいられなかったので、気がどうかしていたのだろう。この、人の赤ちゃんの産声さえも憎らしかった。とにかく早く、すぐに妻を楽にしてあげたかった。

帝王切開を選択するという決断

 お産が終わった助産師さんには、すぐ帝王切開を望んでいることを伝えたが、まずは先生の診察を受けてから状態を見て今後の動きを決めるということでも良いとのことで、まずは先生の診察を受けることになった。

 先生から現在の状況の説明と、提案を受けた。

 もし、赤ちゃんの状態に異常があるようであれば、すぐに帝王切開をするという判断もあり得るが、幸いなことに赤ちゃんの健康状態は良く、子宮口もしっかり開いている。一晩中陣痛に耐えてきたほとんどのお母さんは、このタイミングで必ず帝王切開を望むが、 お産を迎えるにあたっての状態は良いので、 今ここで帝王切開を選ぶのはもったいない。今は陣痛も弱まってきているので薬でさらに陣痛を弱めて、今晩はゆっくり休み、さらに翌日からお産に再挑戦するというのはどうか。という提案だった。吐き気を止める薬も処方するのでゆっくり休めるはずだという。

 もったいないってなんだ。何がもったいないんだ。この苦しみを続けさせるのが正しい選択だとでも言うのか。吐き気を止める薬は本当に効くのか、陣痛を弱める薬は本当に効くのか、今晩、妻はゆっくり眠ることができるのか。想定外のことが起こりすぎている今、苦しんでいる妻を目の前にし、 何が正しいのかよくわからなくなっていた。
 もちろん、今日、今すぐ帝王切開をするという判断になれば、手術のできる医者を手配し対応もできるので、どう判断するか奥さんと二人で考えて決めて欲しい。 そう言って先生と助産師さんは席を外した。

 一緒に話を聞いていたはずだったが、妻にはもう何も聞こえてなどいなかった。とてもではないが妻は説明を聞いて何かを判断できる状態にはなかった。 妻が帝王切開を望んでいたことは私もわかっていたし、 先生から受けた、更に翌日まで引っ張ってお産に再挑戦するという提案は妻の顔を見れば、とても受け入れるという選択はできなかった。

 私は妻に、私の思いを話した。

 まずは、本当によくがんばったね。大変だったね。お母さんはもう十分に頑張ったから、今日のうちに帝王切開の手配をしてもらおうね。

 先生は、今の状態は決して悪いわけではないから明日まで陣痛を弱めたり、吐き気をおさめる薬でゆっくり休んでから明日再挑戦しようと提案してくれているけれど、明日、必ずお産がやってきて、そのすべてがうまくいくとも限らないもの。また昨晩と同じことになる可能性だってある。もちろん、帝王切開にもいろんなリスクがあるのは理解してる。ただ、今の僕らにとっては帝王切開を選ぶのが良いと思ってる。

 妻はゆっくりうなずいた。もう涙は枯れ果てていた。

 先生に、妻の体力は限界なので、今晩、帝王切開をお願いたい、そうと告げると、そこからはめまぐるしい勢いで手術の準備が進んでいった。この日、この時間に執刀できる医師の手配の都合から、時間的な制約があるらしかった。
 先生から手術に関する同意書を受取り、麻酔と手術の説明を受けたあと、サインし終えるや否や妻は手術室へ。手術前に「頑張ってね」の一言も交わすこともなく、すぐに麻酔の処置が始まった。先生からは、手術の立会いもできるのでぜひ横で立ち会ってください。と伝えられていたので、私も白衣に帽子、マスクを装備して手術室に向かった。
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 二人の医師による手術が始まった。妻の胸のあたりから下は見えないように布で壁が作られていたが、私はこの目でしっかりとその様子を見ようと、壁の向こう側、すなわち妻のお腹にメスが入れられる様子を一部始終見ていた。二人の息はピッタリで、本当に信じられないほど作業が速かった。何のコミュニケーションもなく作業が進んでいった。処置が終わり、赤ちゃんを取り上げる準備が整ったらしく、一人の先生が少し高い台に登り、合図を送った。

 「押します!」

 「はい、頭でました!56分です!」

産声が部屋中に響き渡った。

本当に魔法のようだった。私が同意書にサインをした17時25分からその30分後にはもう赤ちゃんが取り上げられていた。本当に信じられないほどの速さだった。助産師さんが産まれたばかりの赤ちゃんを妻の顔にそっと寄せて妻に見せたとき、妻は涙ぐみながら、

「かわいい…。」

と一言だけつぶやいた。元気な男の子だ。へその緒を垂れ、羊水にまみれてビショビショでクシャクシャな顔の我が子がこんなにも尊く、愛おしいなんて。ひと目見た瞬間に妻にそっくりなことがすぐにわかった。首もとの背中の毛が濃いところまで妻にそっくりで思わず笑ってしまった。私は体中の震えが止まらなかったのを必死に抑えていた。

 手や足の本数、指の本数、目や耳の形など産後の赤ちゃんの状態を確認している助産師さんの横で、産まれたばかりの我が子に思わず話しかける。

「もう…昨日は本当に大変だったんだぞー。」

「僕だってがんばってたもんねー?」

助産師さんが、我が子の思いを代弁した。そうだ。確かに、息子も頑張っていたのだろう。紆余曲折はあったものの、とにかく無事にお産が終わってよかった。

 腹部の縫合が終わって入院する部屋のベッドで横になった妻は、胸よりも下には麻酔がかかっていたこともあり、ほとんど私と会話をすることもなく眠りについた。それもそのはず、はじめに陣痛がきてから痛みでこの二日間、寝ていないのだから当然だ。

 出産の形は本当に人それぞれなので、何が起こるかはわからない。ただ、一つだけ言えることは、もしあなたが父親として出産に立ち会う予定があるのであれば、出産についてしっかりと事前に勉強しておくべきだと思う。私自身、それなりに本を読んだり知識をつけてきたつもりではあったが、それでも足りないと思うほどだった。出産においては、今回の我々のように、時として医師から我々に判断を委ねられることもある。そのときに、自分たちにとって最適な答えを、冷静に見つけられるための準備はしておいたほうが良い。出産のために全神経を注いでいる奥さんは、何も考えられなくなるほど気力も体力も消耗するということを肝に銘じておいて欲しい。
 出産という試練と肉体的に戦う妻をサポートできるのは、夫としての冷静な判断や精神的な穏やかさしかない。だからこそ、どんな状況にでも臨機応変に対応できる知識は十分に蓄えておいたほうが良いと思う。