じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

出生届を役所に出したとき、父親になったと実感した話

「子どもを持つ」ということ

 もうすぐ息子が生後2ヶ月になる。 ただただおっぱいを飲み、泣き、そしておむつを変えては眠るという繰り返しだった息子も、よく笑うようになり、出せる声のバリエーションも増えた。

 今まで見てきた人間の中で最もかわいい。

 これが親バカというものか。「贔屓目に見てということではなく、客観的に見ても可愛いはずだ」と私も妻も真顔で話しているのでホンモノの親バカなのだろう。自分の子供を持って初めて、やたらと SNS に自分の子供の写真をアップロードする人々の気持ちがよくわかるようになった。実際に子供を持つまで、子どもというものがこんなにも愛おしい存在だとは、まったく想像もできなかった。

 この子どもが生まれてから2ヶ月という短い時間の中で一つ気づいたことがある。それは「子どもを持つ」ということは、単純に「子供の未来を支えていくこと」だけではなく、「自分自身の過去をトレースすること」も同時に行われるということだ。
 授乳後になかなかゲップが出ず、苦しんでいる息子抱きかかえて背中をさすったり、オムツを替えたり、お風呂に入れているときにふと「自分もこうして育ってきたのだ」と自分自身、ひいては、自分の親のことが頭に浮かぶ。 自分自身もこうして親に育てられたのかと思うと、思春期の反抗期まっさかりの頃に「うるせえババア!」と母親を罵ったことがいまさらになって悔やまれる。自分の息子にひどい言葉をあびせられた母親の心の傷たるやいかばかりか。

 子育てが大切なことはもちろんだが、この、子育てに伴う自分史トレースが、今の私にはたくさんの気づきや教訓を与えてくれていると思う。うまく表現できないが、言うなれば、「第三者視点で始まる”つよくてニューゲーム”」だ。かといって、息子に私の価値観を押し付けるつもりはない。子どもには子どもの人生があり、価値観がある。私には到底想像し得ない世界が待っているに違いない。でも、少なくとも自分自身が最初のプレイでなし得なかったことや、取りそびれたアイテムについて、プレイする上でのヒントを”老害”にならない程度には共有したいと今は感じている。

父親になったと強く実感した瞬間

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 あんなにも壮絶なお産*1を経てもなお、この自分が父親になったという気持ちにすぐにはならなかったのだが、数日後、役所に出生届を提出するという事務処理を通じて 初めて、ああ、私は父親になったのだな、という実感がわいてきた。

 子どもに名前をつける、というのは本当に難しいことだ。名前というのはあえて変な言い方をすると多少のルールこそあれ”任意の文字列”なのだ。「ああああ」という名前を出生届に書けば、そのまま”名前”として受理されてしまう。
 このように”どんな名前でも良い”という条件のもとで、夫婦で考えた名前を出生届に手書きで書き、役所に提出すると、私たちが脳内で勝手に考えた”任意の文字列”が住民票という形で活字となって出力されるのだ。変な言い方だが、このとき初めて「人間になった」感があった。市民として認められ、住民票を受け取ったこのときに、ようやく父親になったという実感がふつふつと湧いてきた。その後、自宅に市から息子の宛名で予防接種等の案内が届いたとき、息子が家族なのだということを改めて実感した。

 産まれた瞬間だとか、一緒にお風呂に入った瞬間だとか、そのような子どもとのふれあいよりも不思議と事務的な手続きの方がより父親になったという実感がわくものだ。

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