じっぱひとからげ

十把一絡げになんでもかんでもつづる。

英会話において 発音がこんなにも大切なことだなんて 誰も教えてくれなかった


「A組はここ、B組はここ、C(スィー)組はここに並んでー」

 中学生の頃、英語の先生が生徒である我々にこう言っていたのを思い出す。我々は先生を少しバカにしたようにそのCの発音を笑いながらいじっていたのを思い出す。あのとき、授業でもないあのタイミングでかたくなに「スィー」という発音に徹していた彼が本当に正しかったのかどうかはわからないけれど、少なくとも英語の発音というものが、いかに大切なのかは今はとてもよくわかる。

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 ここで紹介したように、とにかく自分の発音した音を改めて自分で聞いてみることが大切だということがわかってきた。

 よく言うLは上顎に舌をつけ、Rはつけない。THは舌先を噛むように、FやVは下唇を噛んで、など自分ではやっているつもりなのかもしれないが、実際に自分の声を聞いてみると、意外とその思いは反映されていないものだ。まずは、自分自身の声を聞いて、自分自身で聞き分けられるか、そこが大切だと考えている。自分で聞き分けられないものを、人が聞き分けられるわけがない。もっと言えば、日本人同士で日本語で会話していても聞き違えることはたくさんある。まして拙い英語ではなおさらだ。手元のスマホで録音して確認するというお金のかからないシンプルな方法から始めるのが良さそうだ。

カタカナ英語では全然伝わらない

 人によってはカタカナ英語だってかまわない。発音は間違えても良いからとにかく勇気をだしてしゃべることが大切である、などという論理を展開する人もいるが、この半年の間DMM英会話で試行錯誤しながら発音を体得してきた私としては、この考えは完全に間違えていると断言したい。
 カタカナ英語は本当に伝わらない。伝わらなくて会話が成立しない、会話が成立しないから楽しめない、楽しめないからモチベーションがあがらない、モチベーションがあがらないからやめてしまうという負のスパイラルに陥ってしまうので、カタカナ英語は今すぐ捨てた方が良い。

ネイティブっぽい発音のまねを恥ずかしがっている場合ではない

 Macdonald'sをマクダーナ的な発音をするのは、なぜかどこか気取っているような、格好を付けているような気がしてしてしまって恥ずかしいという人もいる。でも、こんなことで恥ずかしがっている場合ではない。カタカナ英語は本当に伝わらない。伝わらないとわかっているのなら、とにかく音を聞いてネイティブが話すのと同じように聞こえるようにできるだけ音を再現する必要がある。カタカナ英語で日本人丸出しの伝わらない英語をしゃべっている方がよっぽど恥ずかしい。

音楽の「耳コピ」の能力は「英語の発音の巧拙」に影響する(仮説)

 最近気がついてきたことの一つに「音楽で言うところの『耳コピ』のスキルは『英語の発音の巧拙』に影響する」のではないかということである。あくまでも仮説であり、明確な根拠はない。相関を示す論文がないかと検索してみたけれど、それらしいものは見つからなかった。もしこの仮説を検証している本や論文があったらもう少し詳しく読んでみたい。
 私は幼いころからピアノやギターを弾いているので、音を聞けばその音を楽器で再現することができるいわゆる耳コピのスキルがある。と言っても、世にいう絶対音感というものではなく相対音感だ。つまり、自分の耳で感じ取った音が他の特定の音よりも高いのか低いのかは識別することができる。最近になってこのスキルが、英語の発音の学習においても有効であることがわかってきた。
 「流暢に話すには」ということを説いたような記事の中には「聞こえてきた音を、文字にするのではなく、そのまま聞こえたように話せばいい(ね、簡単でしょ?)」的なトーンで語るものがある。それはつまり音楽に置き換えると「聞こえてきたメロディーをそのまま歌ってごらん」と言っているのと同じことである。これは通常、相対的な音感がなければ簡単にできることではない。なぜなら、聞こえてきた音と、自分が発している音のどちらが高いのか低いのかがわからなければ差がわからないからだ。差がわからなければ、当然その差をどのように埋めれば良いのかわかるはずもない。百歩譲って「メロディー」は音階という形でデジタル化されているので、「会話」を聞き取るよりは幾分簡単なのかもしれないが、耳コピのスキルなくして、聞こえたように話してごらんはあまりに乱暴だ。ときどき、洋楽で発音やリスニングを鍛えようという人がいる。これはもしかすると、「会話をまねする」より「メロディーをまねする」ほうが簡単だからかもしれない。楽器をやっていて「耳コピ」が得意な人は、語学学習のセンスをもっているはずなので意識すると良さそうだ。
 

発音が上達してきたら 講師から間違いの指摘をたくさんもらうようになった

 最近は講師から、リーディングや発音を褒められるようになってきた。それと同時に、英会話のトレーニングを始めた頃よりも、間違いの指摘をたくさんもらえるようになった。おそらく、まだ英会話のトレーニングを始めた頃は「どうせ、こいつに間違いを指摘しても伝わらないだろうな」と講師に半分諦められていて、細かい間違いは指摘しないようにしていただろう。それが、少しずつモノがわかってきたか?と講師に感じさせることができてきたのか、誤りに対する指摘が増えてきた。これは、スキルの低い人の成果物のレビューをするときの様子によく似ている。
 スキルの低い人の成果物は、あまりに突っ込みどころが多すぎて「どこから突っ込めば?」という状態になりがちで、本質的な指摘にいたらないことが多い。あまりに直すべきところが多すぎると時間の制約上、レビュアーは「看過できない大きな間違い」を優先的に指摘していくことになる。おそらく、英会話そのもののレベルは少しずつ上がってきているはずなので、間違いそのものの絶対量は減ってきているはずだが、それでも指摘が増えてきたと感じているのは、「指摘しても、理解してくれる」と判断したからだろうと想像している。

英会話において、発音はおろそかにしてはいけない。

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